織田作之助『それでも私は行く』

人間ドラマ

無頼派の代表作家の一人、織田作之助の晩年作『それでも私は行く』(1946年連載、1947年単行本化)の紹介です。この作品は、戦後すぐの京都を舞台にした長編小説で、織田作の死の前年に書かれたもの。

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あらすじ

物語の舞台は、戦後の京都・先斗町(ぽんとちょう)。鴨川沿いの細長い路地に並ぶお茶屋や花街が、戦火を免れた美しい姿を保ちながら、混沌とした時代を生きる人々を描きます。

中心となるのは、先斗町のお茶屋「桔梗屋」の一人息子で、美青年の高校生・梶鶴雄(かじ つるお)。彼は周囲から憧れられる存在ですが、母の過度な溺愛や家業の環境、さらにはヤミ成金の客・小郷虎吉のような下品な男たちの存在に嫌気がさし、ニヒリズムに陥っています。鶴雄は「逃げ出したい」と強く思いながらも、日常に縛られています。

物語は鶴雄を中心に据えつつ、群像劇のスタイルで進みます。女スリ師、芸妓や舞妓たち、小説家、元旦那の三好など、多様な人物が登場し、彼らの人生がすれ違いながら意外なところでつながっていきます。視点がカメラのように滑らかに移動し、次々と人物に焦点を当てる構成が特徴的で、まるで映画を見ているような臨場感があります。

戦後の混乱の中で、人々はそれぞれの欲望や過去を抱え、木屋町の提灯の灯りや高瀬川の流れを背景に、恋愛、嫉妬、復興の兆しを描き出します。鶴雄の「それでも私は行く」という決意が、物語の核心を象徴しています。

(詳細なネタバレを避けつつ、全体として戦後京都の風俗と人間模様を活写した作品です。実在の地名や店が多数登場するので、京都散策しながら読むとより楽しめます!)

主要なテーマ

織田作之助の作品らしい、人間味あふれる描写が満載のこの小説。主なテーマを挙げてみましょう。

  1. 戦後社会の混沌と人間の生き様
    終戦直後の日本。空襲で焼け野原になった大阪に対して、京都は比較的被害が少なく、美しい街並みが残っています。この対比が印象的で、焼け跡の大阪から来た人物が京都の美しさを「恨めしい」と感じるシーンもあります。ヤミ経済の成金、進駐軍の影響、伝統的な花街の存続――そんな時代の中で、人々は欲望や貧しさ、過去の傷を抱えながら、それでも前を向いて生きていきます。織田作の無頼派らしい、俗っぽくも活力ある人間描写が光ります。
  2. 青春の葛藤と逃避の欲求
    主人公・鶴雄のニヒリズムは、純情ゆえの反発。母の愛情が重荷になり、家業や周囲の大人たちに嫌悪を抱く姿は、戦後世代の閉塞感を象徴しています。それでもタイトル通り「それでも私は行く」――諦めず進む姿勢が、希望の糸口を示唆します。
  3. 人間関係のつながりと運命
    群像劇の形式で、すれ違う人々が意外なところで結びつく構造。恋愛、嫉妬、裏切りが絡み合いながら、人生の偶然と必然を描きます。織田作の得意とする「人情」の温かさが、戦後の冷たい現実の中で際立ちます。

この作品は、織田作の他の代表作『夫婦善哉』のような大阪下町の庶民描写とは少し異なり、京都の雅やかさと戦後の俗気が混在する独特の雰囲気があります。晩年の作品だけに、作家自身の人生観がにじみ出ているように感じます。

織田作之助 それでも私は行く

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